例えば20年前、国内主要駅の7割にエレベーター設備はなかった。今や高齢者やベビーカーを押す方も、疲れた会社員も、誰もが何気なくエレベーターを使う。当たり前の日常にある、当たり前のインフラだ。
映画館もまた誰しもに開かれた場所となりつつある。その原点は、2000年代の初頭、まだアクセシビリティという概念も広く共有されていない時代に、NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター(以下MASC)の現事務局長である川野浩二氏が、ひとりの聾者と出会ったことにある。
川野氏は、音響エンジニアとしての経験から、音によって同期する映画のバリアフリー化を考案、そして耳が聞こえづらい人のために「メガネで見る字幕ガイド」を、そして見えづらい人のために「スマホで聴く音声ガイド」を、MASCを通じて普及させてきた。今ではシネコンで鑑賞できる邦画作品の9割を、誰もが手持ちのスマホで、字幕や音声ガイドとともに楽しむことができる。
障害者手帳を持っていなくても、誰もがアクセスできるシステム。映画館の設備に依存しないまさにインフラとして、今では映画鑑賞の場に静かに浸透している。
インフラの享受が当たり前になればなるほど薄れるのは、当初の不便さという“当たり前”の壁を壊していく気概と踏ん張り、そして弛まぬ努力が確かにあったという事実だ。
筆者も音声ガイドを利用してみたが、この音響同期というシステムには今後の更なる映画体験の可能性もあるようだ。コメンタリーを聴きながらの作品視聴や、ライブ(音楽)映画との親和性も含めて、バリアフリーによって誰もが楽しめる映画体験がさらに広がっていく未来が見える。
「特別な設計を必要とせず、最初から誰もが使えるようにデザインする」とは、ユニバーサルデザインの父ともいわれるロナルド・メイスが提唱した言葉だ。MASCが一貫して取り組んできた20年あまりの活動は、まさにメイスの思想を映画の世界で実践したものである。我々はこの歩みを讃えて松永文庫賞をお贈りしたい。
授賞式典