(淀川長治賞)
「僕が儀助ですと言った瞬間にもう儀助。言ったもん勝ち、それが僕のやり方」。長塚京三はメディアのインタビューで映画『敵』での役作りについてそう答えている。自分=渡辺儀助、77歳。役者人生50年を超える長塚の言葉は軽やかで深い。
儀助は妻を亡くし20年。フランス近代演劇史の教授職を定年まで勤め上げ、丁寧で穏やかな日々を送っている。料理もお手のものだ。そんな彼の頭の中にじわじわと攻めてくる「敵」。理性と煩悩、現実と妄想の間で己が崩れていく。全編を通し長塚が出ていないシーンはほぼない。露骨には見せない職業人としての儀助の渇望、男としての欲望をふわりふわりと醸し出す長塚に知的シニアのリアルを見る。
儀助が心も脳も曝け出していく演技もさることながら、特筆したいのは儀助を取り巻く三人の女たちとのやりとりだ。教授時代の生徒・靖子(瀧内公美)、フランス文学専攻の大学生・歩美(河合優実)、そして死んだ妻・信子(黒沢あすか)。彼女たちと儀助の会話はなんとも艶っぽく、全編モノクロ映像の中で儀助と観客の心を彩る。男の笑顔にはこんなにも種類があるのかと長塚は教えてくれる。
監督の吉田大八は昔から今作の原作者・筒井康隆の著書を愛読していたという。アテ書きはせず脚本を書き進め、完成した時に長塚に演じてもらいたいと思ったそうだ。
長塚といえば映画デビューもフランスというユニークなキャリアを持つ。74年、ソルボンヌ大学在学中に知人の紹介でジャン・ヤンヌ監督の映画『パリの中国人』で俳優デビュー。一時帰国中に日本のドラマ出演が決まり、俳優の道を歩み始めて52年目。映画界は長塚を引き留める。ダイヤモンド大賞を差し上げたいのもまだまだ輝き続けてほしいからだ。
長塚は、俳優の敵は年を重ねることではないと体現してくれている。本作からも、その年齢、そのステージを生きる人間の機微を演じる愉しさが伝わってきた。こんな80歳の俳優に憧れない人がいるだろうか。
授賞式典